新聞記事

1999年(平成11年)3月23日(火曜日) 讀賣新聞(夕刊)

 二〇〇〇年までに二千台の車いすを届けたい--。英会話教師で南アフリカ共和国出身の詩人、トーマス・カンサさん(48)(大阪市平野区)が、不要になった車いすをコツコツ集め、修理して母国の身体障害者に贈っている。この四年余りでその数は、約千三百台。一人でも多くの障害者に行き渡るようにと、活動はずっと続けるが、二千台は一つの区切り。カンサさんは「ごみになった車いすで救われる人たちがいる。みなさんの協力で、何とか目標を達成したい」と支援を求めている。  ロンドンで知り合った登起子さんと緒婚して、カンサさんが来日したのは一九八四年。ニッポンの使い捨ての暮らしにびっくりしたが、五年ほど前の粗大ゴミの収集日には、もっと驚いた。まだ十分使える車いすが、うち捨てられていた。子供のころの母国の光景が思い出された。貧困や差別の中、黒人の障害者は粗末な箱に車輪を取りつけ、車いす代わりにしていた。「何とか、国へ送れないだろうか」。近くの障害者作業所などに声をかけた。すぐに約三十台が集まり、カンサさんの、たった一人のNGO活動が始まった。  車いすは、周辺の大型ゴミ収集場や障害者施設などを回って集め、パンクしたタイヤを直し、さびを落とし、部品を取り換えて再生させる。輸送は年四回、神戸港からコンテナで船に積み込み・ダーバンにある障害者などの団体へ。一回、二十五万円かかる輸送費用はカンサさんの詩集の売り上げや募金で賄っている。ダーバンの弟が交通事故死したため・昨年八月に帰国した時のことだ。道で車いすに乗った黒人の年老いた女性に出会った。ふと、背もたれを見ると「田中」の文字。見覚えがあった。日本から送ったものだ。話しかけると女性は「鳥のように自由にどこへでも行けるようになった」と目を輝かせた。カンサさんは、善意が確かに生かされていると知った。  車いすを集め出してしばらくして、阪神大震災が起きた。目の前の隣人に手を差し伸べたい。保管していた数十台を神戸へ運び込んだ。今でもへ被災地の人々との交流は続く。そんなカンサさんを、大阪府柏原市内で開く英会話教室近くの住民も後押しする。車いすを保管する空き店舗は所有者から申し出た。荷造りを手伝う酒店の杉井庸員さん(38)は「トーマスは自然体。だから、こっちも近所のおっちゃんを助けたろっていう感じ」。南アでは、カンサさんも強烈に味わったアパルトヘイト(人種隔離政策)は廃止されたが、その時代の暴力や貧困が原因で、障害者は人口の一割強、五百万人に上るとされる。  「贈った車いすと同じ数だけ、現地から喜びの声が届く。人種の違いを乗り越え、障害者を応援したい。目標にはまだ遠いが頑張る。それが、祖国を離れて暮らすものの務めと思う」。カンサさんはそう、語る。カンサさんの連絡先は06・6793・8023。

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