Mおばさんのラオス便り

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■Mおばさんって?

 Mおばさんは日本人のシニアボランティアとしてラオスで活動をされています。わたしたちの車いすが現地でどのように利用されているのでしょうか。

 手紙は上へ行くほど最新のものです。

■Mおばさんのラオス便り6月○日

 Mおばさんは、昨年の6月から、任期2年の予定でラオスの、医療技術短大の理学療法科ではたらいています。週に1度リハビリテーションセンターの子どもの所で遊んで?います。生徒が午後から実習に来るのですが、午後からは患者が少なくて、皆さんが送ってくれた車椅子が来たときは、急いで車椅子の寸法の測り方を、教えて、生徒に全部の車椅子の計測をしてもらい、それを車椅子に貼り付けて欲しい人がいたときに合わせ易くしました。今までラオスでは、よほどの御金持ちが、タイに行って買ってくることしかなく、つい最近も、子どもで大きな大人用にうまく座れていなかったので、皆さんの送られた車椅子を管理している、Disabled Persons Associationにいって、その大人用と、残っている子供用とを交換してくれるよう交渉しました。このところ、残り少なくなったので、いろいろ理由をつけて、出し渋っているようです。
 今週も、10歳のヂュシャンヌ型の、キンヂストロフィ―の男の子が来ていて、診断名が滅茶苦茶なので、医者と話し合いをして、こちらの見解を伝えもう歩けなくなる日はそこまで来ているので、遠くの村からなので、何とか車椅子を出してもらおうと作戦を練っています。日本だったら、血液検査とか筋肉の検査で確定できるのですが、こちらは検査する事が出来ません。予定の日にいっても、医者が政治ミーティングで、無駄足に終わっていますが。車椅子をしまっている部屋にはいった時に、大量の蟻に、足をかまれて、子どもの部屋で、ヒーヒー掻いていると、親たちが心配して、塗り薬を何人もが提供してくれたり、ラオス人は優しいのです。ではまた。

■Mおばさんのラオス便り6月○日

 5月末に、遠いいルアンパバンから来た脳性まひの、緊張の高いアテトーゼタイプの、4歳くらいの男の子に、何とか治療が継続できないなら、座位姿勢だけでも良くしてやりたいと、車椅子を欲しいと、身体障害者協会に行ったら、あちこちの地方に持っていったのでもうあまり残っていないといわれ、4度目の正直でやっと倉庫のかぎ持っている人にあえて1台もらえました。その写真は無いのですが、先週COPEさんが、負担するからと連れてきた、25歳の女性の脳性まひでやはりアテトーゼで歩けない人には、もう無いとかいってくれないから、日本人の私が行って頼むように言われて、また行きました。25才といっても私が抱えられる体重ですので、子供用でも良い。日本のこの車椅子を補修してくれた高校にも、いつも写真を送っていて彼らもラオスの人が実際喜んでいるのが見られて、また協力がえられるかもしれないといったら、やっと会長が鍵をあけてくれました。悔しい事に、鍵はちゃんと引き出しにありました。この前はかぎ持ってる人いないと、何度も足を運ばされたのに。倉庫には確かにもうあと、15台くらいの子供用しかありませんでした。でも何とか幅は狭いながら、入るのが見つかり、これで一度、タラサオに(市場ーというかラオスの百貨店)行きたいねというと、とても嬉しそうにしていました。動く右手を抑えるために、生徒に竹を切ってきて、アームレストに取り付けてもらい、それを握ると、手が後ろに行かなくなりました。
 地方へ送られた大人用が、役に立っているよう望んでいます。池田付属の事件は、ショックですね。こちらの新聞にも載って、皆から大変だねといわれました。

■Mおばさんのラオス便り6月○日

 今週リハセンターで、また車椅子の、選択に立ち会いました。装具の診察に来ていた子で、若年性のリューマチで、膝を伸ばす装具を作りましたが、痛みがひどく、移動にどうしても、車椅子がいるというので、どんなのが良いか見てくれといわれて、身体障害者協会の、近くの倉庫に行きました。まだ、ざっと見たところ、30台くらい残っており、それも小児用が多く、フットレストを上げて、違う車椅子のベルトを掛け、足を置けるようにして、かがとのところに枕を置くと、男の子の7−8歳(名前も年も聞き忘れました。後から写真と思ったのですが、撮る暇なくてすみません)のこの顔がずいぶん和らぎました。片方のタイヤに空気が無く、チェックすると、虫ゴムが無く、御父さんがすぐに買いに行きました。手のほうは、痛みがましなようで、教えるとこわごわそっと、まわしていたので、今にうまくなれると思います。
 もし今度また、ラオスに来る機会があるようでして、訪問したい希望とかあるようでしたら、家の場所とか聞いておきますが。義肢装具の無償提供をしていた、リハセンターのなかに事務局を持っていた、COOPという団体が、6月に撤退してしまうので、今後ぐっと患者が減るかもしれないと心配しています。友好橋の近くの少年は、このごろ、定位置にいなくて、兄弟に押して貰ってうろうろしているようです。ではまた。

■Mおばさんのラオス便り6月○日

 今日、やっと友好橋近くの小さい村の少年に、直接車椅子渡しました。
 あの日に、生徒と一緒に車椅子の計測をしてくれた同僚が、いつも通る道沿いに、いつ見ても、椅子に座っている少年がいる。きっと障害児に違いないというので、先週の火曜日に見に行きました。脳性まひの、17歳の少年で、四肢麻痺で、言葉は無く、下に3人の兄弟がいますが、親は、朝から晩まで、人の畑に雇われていて、木の椅子に、何色かわからぬランニング1枚で座っていて、おしっこやら、垂れ流しでハエがたかっていました。見事に何も無い家で、近所中の人が集まってきて、御父さんが呼び戻されて、車椅子の説明をして、いるかどうかたずねました。
 お金も、ひとでもかけようがなさそうなので、おもちゃは、金ずちで、それを取り上げると泣くという事でした。
 で、障害者協会に話して、村長さんの証明書を同僚が取り、デジカメで写真を作って書類に貼り、今日やっと、3万キップでもらえることになりました。協会の横の部屋に、車椅子がしまってありましたが、もう残り、30台くらいになっていました。始めは、この親に、毎月1000キップでも払ってもらおうと考えたのですが、家の状態を見ると、とてもいえませんでした。
 今日持っていくと、その子は、始めは、びっくり反射が多発しておびえていたのですが、タオルでくくり、落ち着いてから、動いて回って見せると、嬉しそうになり、他の子どもが車椅子に触れると、怒って、利くほうの手で、払いのけていました。 リハセンの廊下にも、車椅子が並んでいます。 町でも、見かけました。暑い中、強行軍で運んでいただいたので、せめて、この子の、写真を送ります。
 ありがとうございます。
 生徒に、空ボトルで、ビー玉落しを作ってもらい、それも、もっていきました。

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