車いす贈呈式
2000年 328日 ナン スクールにて

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 車いすを受け取るタイの障害者、800人のナンスクールの生徒・先生、ノンタブリ障害者協会のメンバー、ラオス障害者協会のメンバー、国連ESCAP高嶺豊さん、ノンタブリ県知事、カンチャナー教育省副大臣が参加して、国際的で盛大な贈呈式となりました。

 ナンスクールのブラスバンドのタイの国歌演奏の後,オープニングにナン中学の生徒による民族舞踊がありました。民族楽器を使った演奏と色鮮やかな衣装での舞踊にタイの民族文化を感じました。ちなみにナンスクールの舞踊チームは,アジア各国代表の学生舞踊大会で,グランプリを受賞するほどの強豪チームです。その後,校長先生の挨拶・日本側生徒(堤さん・深田さん)の英語でのスピーチ・文部副大臣のカンチャナーさんに車いすとその目録贈呈を行い,それを受けカンチャナーさんの祝辞と講演がありました。講演の内容は,タイ王国の未来の向けての教育の指針と,それに向けた教育政策の発表でした。続いて隣国ラオスの障害者協会の方々に,カンチャナーさんより車いすの贈呈がありました。次にステージで,ナンスクールの生徒による,車いすを使ったダンスが披露されました。結構難しい前輪上げ(車いすのウィリーダンス)や,回転技をトポンさんの指導で,4日間毎日5時間の特訓でマスターし,この贈呈式で披露してくれました。その後ようやく,招待した車いすを必要とする人に対して,その体型や障害に合わせた車いすを選ぶ作業が始まり,タイと日本の生徒諸君が,一緒にその作業にあたりました。どの生徒諸君も前日に訪問した人を見つけてきて,「これがいい!」「こっち方がいい!」と車いすを選んで,決まればその場で記念撮影になります。会場のあちこちを写真を撮りながら歩いていますと,服の裾を引っ張る人がいました。振り向くと前日訪問した9歳の少年のおばあちゃんでした。少年に合った車いすが見つかったようで,おばあちゃんに手を引かれて,その少年のところへ行きますと,彼は車いすに収まっていました。しかし寝たままの姿勢が多いため,座る姿勢がうまくいかず,泣きべそ顔でした。できれば座るための機能訓練を,訪問指導のボランティアのお姉さんに,託したいと思います。少年とおばあちゃんは車いすを持って帰っていきました。視界から消えるまでおばあちゃんは,振り返っては合掌し,感謝の気持ちを伝えてくれました。


贈呈式会場


国連 高嶺豊さんからの挨拶


訪タイ団代表挨拶


車いすの受け渡し、それぞれの体に合った車椅子が贈呈式終了後渡された


ナンスクールはタイでも民族舞踊の名門校ということである


ナンスクール生徒による民族舞踊

贈呈式での残念な出来事・・・大阪府立佐野工業高等学校定時制課程教諭 仲西 正男)

前日D班が訪問したバンコクのスラム街・クロントイの人たちが,早くから学校に着いているのに,式典の会場に入ってきません。他の班が訪問したところの方々は,みんな会場にいるのですが,彼らは入っいません。いよいよ式典が始まり,車いすを合わせる作業へと進んでも彼らは会場に来ないのです。結局他の人たちが,すべて選び終わって,みんなが帰っていった後,残りの車いすから数台を会場の外で受け取り,最後に帰っていきました。このことは,クロントイに訪問した班の生徒と先生から,式典終了後報告を受け,ホテルに帰った後すぐに,この事の問題点を整理するために,私たちは集会を持ちました。

問題点は

1,同じように車いすを必要としているのに,それを受け取るのに,公平に機会が与えられなかった。

2,クロントイ(スラム街)に住んでいるというだけで,差別を受ける。

3,同じタイの障害者間でも,連帯感がなく,偏見や差別意識が顕わになる。

 翌日国連バンコク事務局で,高嶺さんとこの事について,お話をしたところ,「問題点はその通りです。そのためにESCAPやトポンさんの取り組みが必要なんです」とのこと。かつて,日本で部落解放運動の高まりから,スラムを解消し住環境が改善されたことや,障害者や被差別の立場の人々が連帯して取り組む事で,様々な施策を実現してきた事が,タイの国においても進められていけば・・・と感じました。

耐えられない差別(メインストリーム協会 玉木 幸則)

 翌日,盛大な贈呈式が執り行われました。個人的には,釈然としませんでしたが,教育省の副大臣も参加するということで,タイの障害者や学校にとっては大変意義深いものだったのでしょうが。贈呈式には,昨日訪問したところの障害者も参加していましたが,スラムの人たちの姿がありませんでした。無事に贈呈式も終え,車いすのサイズ合わしも終わろうとした頃に私は外へ出ました。すると,スラムの人は,ワゴン車に乗ったままいたのです。車いすがないから会場に入ることすらできないのです。その状況をタイの世話役に伝えると「中の人のサイズ合わせが終わったら」と言ったのです。どうして,同じ仲間としてみられないのでしょう。同じスタートラインに立てないのでしょう。同じ障害を持った立場として,様々な差別と立ち向かう仲間として,悔しかったです。そして,その状況に対して何もできなかった自分が悲しかったです。思わず涙が出てしまったのです。若者たちには,隠れて泣いていたのですけど,しっかり見られていたのは,少し恥ずかしかったです。その夜,みんなでその日の出来事を話しました。そして,それぞれが何かを感じとってくれたと思います。言葉にできない何かを。

カンチャナー教育省副大臣の話

  日本からのバリアフリー教育プログラムの先生、生徒の代表の方々、朝日新聞大阪厚生文化事業団の代表者、ラオス障害者協会の代表の方々、パトムタニーナンタムニーバルムンの生徒、先生方、障害者と、ご家族、関係者の皆様、私は国の教育をケアする行政任務をもつ者として、障害者にかかわる社会発展に関心をもつ政治家として、また、ひとりのかわいい障害をもつ子供の母親として、本日の贈呈式の開催者という栄誉をうけ、大変幸せでうれしく思っています。

  はじめてこのプロジェクトの名前を知ったときは、障害者の教育を基本としたプログラムだと理解していました。しかし、校長先生からの詳細なお話を聞いて、子供、若者、障害者が交流したり、結びつきあったことがわかりました。プログラムをはじめた方々、関わってきた皆さんを賞賛したいと共に、西暦2000年という新しい時代を迎えて、私は、日タイバリアフリープログラムの下の障害者を助ける事業は、新しい時代の教育の知恵だということはほかございません。

  教育省は現在重要な任務を抱えています。3月9〜26日までムアントンタニーを会場にして2000年の教育エキシビションがありました。特に今回は障害者教育の発進、発展についてです。1999年度は、障害者教育年でした。教育省は障害者の教育について10万5百人の準備をしました。今年は15554人の準備をしています。ですから、この機会に障害者と家族の皆さんにそのご報告をしたいと思います。かれは、初等教育事務所、普通教育局、学校外教育局のどこでも入学できます。

  まとめると、全ての部署が現在、社会発展のために協力しあって教育の改善にとりくんでいます。日タイバリアフリー教育プログラムが協力してすすめられてきたようにです。

 朝日新聞大阪厚生文化事業団とノンダブリ障害者ネットワークが協力して調整していただいたことに感謝し、ノンダブリとパトムタニ福祉局が障害者の調査を援助してくれたことに感謝し、パトムタニーナンタムニーバムルン学校がはじめての学校としてこの機会を与えられたことに感謝します。

  そしてこの日タイバリアフリー教育がこれからも安恭に続けられて、大きな効果を生みますよう大変期待します。

  日本からの先生、生徒の方々がタイにいる間どこでも幸せに出会えますように、この活動の全ての面において成功できますように、そして安全なご帰国をお祈りしています。ありがとうございました。

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